竹林の会/小さな植林隊





雑記 平成26年(2014年) 8月6日(水)






「A2-B-C」(福島の子供達の甲状腺への影響について) 上映会に参加


知り合いが新座で自主上映会を開催するとの事で参加してきました。
映画は「A2−B−C」という、原発の爆発後も福島で住み続ける家族と、
その子供達を取材したドキュメンタリー映像です。監督はイアン・トーマス・アッシュさん。




映画の表題「A2」「B」「C」というのは、甲状腺に発生した嚢胞(のうほう)や
結節(しこり)の大きさによる判定の度合いを意味しています。
Cに向かうほど、症状が大きい判定結果となります。

映像の中で、複数の子供達は、検査の結果、「A2」の診断となったと
話している場面がありました。
A2は、5.0mm以下の結節又は20.0mm以下ののう胞が発見された場合の結果です。


驚くことに、除染が済んだ学校でも、その塀の外、周囲の放射線量は
胸の位置で、4.2マイクロシーベルト、
地表5cmで、35.37マイクロシーベルトという大変な数値が測定されていました。
ちなみに埼玉県戸田市で、私の住まいの周辺を市から借りた測定器で
時々測っていますが、地表付近で大体0.1マイクロシーベルト前後の測定結果です。
35.37と0.1。
比較すると350倍という大変な違いです。



除染が行われるのは、その敷地内だけで、一歩外に出ると
全く手がつけられていない状況だそうです。
敷地の外に行かないように紐で境界が作られていました。

そんな状況でも学校側は、運動させないほうが体に悪い、
外に出て遊びましょう、と言うそうです。

学校のすぐ外で線量が高いという事は、
それだけ放射性物質が存在しているということです。

それが風や雨で敷地内に入り込んでくる事は容易に想像がつくはずなのに・・・。
確かにずっと室内だけでは健康によくないというのもわかりますが・・・。


福島県の子供の甲状腺がん悪性と診断された子供は、悪性疑いも含めて、
平成23年から平成25年の3年間で90人となっています。
平成26年3月時点 福島県発表
*(8月24日福島県の県民健康調査の検討会で、
その数はさらに増えて103人と発表されました。)


受診者数295511人で、90人の子供達に悪性の症状が見られ、
割合としては多いのは明らかです。
通常、子供の甲状腺がんの発症率は100万人に2〜3人程度と言われているので、
比較すれば、かなり高い発症率になります。



子供の甲状腺がんの発症が多いことについて、福島県立医大の鈴木真一教授は
「今回のような精度の高い超音波検査で大勢の子どもを対象にした調査は前例がなく、
比較はできない」と説明しています。

過去にこの様な大規模な診断を行っていないため、
本来見つからないであろう症例が見つかっている、というものです。

甲状腺がんの診断は、子供の時点で行う事はそうそうないのが普通なので、
大規模な診察を行っている結果、悪性、もしくは悪性疑いの人数が
増えてしまっているということです。


チェルノブイリの事例では事故後4〜5年後に甲状腺がんが多発していますが、
福島の状況は、その前段階と見て取れないのでしょうか?


また、そもそも、甲状腺がんの測定の仕方や結果についても問題が提起されています。
多くの人を診察しなければいけないために、検査が10秒程度であっという間に終わることや、
観察項目が削減されたり、資格のない医師が集められているそうです。(以下の映像)






「A2−B−C」の中で、住民たちは、これまでの事実や感じたことをお話してくれます。

・2011年5月6日に除染する前に保育園を再開していた
・県の放射線の線量測定方法のマニュアルには、
 雨どい等は線量が高くなるから測らない様にしている
・中絶する人が増えている
・子供をおろすことを考えて結婚を考えている
・保険に入れない
・IAEAは山の除染はできないからするなといっている
・福島県産の作物を販売する事は加害者になっているのではないか?と感じている
・給食に福島県産のお米を使うようになって心配
・一度A1(異常なし)と判定されたらもうセカンドオピニオンは受けられない。
 しかし、そうなる以前、県の検査でA1と診断されても、セカンドオピニオンを
 受けたところA2になった


映画が終わった後、監督との質疑応答の時間がありました。
その中で、福島の人たちが変わりつつあるということを監督は話していました。
それは、原発に対して、あるいは汚染の状況等について話してくれる人が
減ってきているという事です。

私はそれを聞いて、現状として、甲状腺がんの子供が増え続け、
日々大変な苦労をしている中でなぜ、黙認するような雰囲気になってきているのかと
質問しました。

それに対して、監督は、正確にはわからないけれども、と前置きをしつつ、
おそらく大変な環境という認識のまま日々を過ごす事は耐えられないのではないか、
精神的に参ってしまうので、大丈夫だと思い込んでいるのではないか
というようなことを言っていました。

私はそれを聞いて、確かにそうかもしれないと思いました。
日々大変な中でも生きていかなければいけないという状況下では、
どうしようもできないことに対して、受け入れていかなければ気持ちがもたない気がします。
それがある意味、人間の、環境への適応という、一つの能力でもあると感じました。

家族や友人、地域の人たちがばらばらになり、これまでのつながりが絶たれて、
原発の事で意見の対立などもあれば、できればその事には触れたくないと思う人が
増えてもおかしくはありません。


一度の事故で、本当に取り返しのつかない状況になってしまう原発は、
一刻も早くなくして、太陽光や風力を活用した再生可能エネルギーに置き換わることを
心から望みます。

監督と記念撮影







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