小さな植林隊





雑記 平成23年(2011年)2月7日(月)






青森県六ヶ所村視察(再処理工場等)その7


最終日(平成22年12月28日)は、六ヶ所村読書愛好会の方々との交流でした。

六ヶ所村読書愛好会の方々。

視察参加者。

六ヶ所村読書愛好会は15年活動してきて、現在23名の会員がいるそうです。

六ヶ所村は、過去の「むつ小川原開発計画」で国家石油備蓄基地受け入れについても、
六ヶ所村の住民が賛否両論に分かれて大変だったそうです。

「むつ小川原開発計画」とは、1969年の国の新全国総合開発計画(新全総)に基づき、
工業団地を主にした総合開発地区として開発する計画(約5500ヘクタール)で、
青森県等が中心に、第3セクターである「むつ小川原開発会社」を設立して、
敷地の買収(1972年末開始)、むつ小川原港の一部建設に着手しました。

1980年までには用地の取得、住居者の移転を終えましたが、
むつ小川原国家石油備蓄基地が実現しただけで、他の進出企業がなく、
むつ小川原開発会社は累積債務2300億円をかかえることになり、
その借金をどうするかで、青森県は核燃料サイクル施設の誘致に奔走しました。

地元の人達は農業に対する風評被害を心配し、反対の立場でしたが、
国は補助金打ち切りをちらつかせ、反対派を封じ込めました。

その過程で、地元の人達は賛成、反対に割れ、地域の縁が分断されてきました。


六ヶ所村読書愛好会の方たちは、こう言っていました。

「石油備蓄基地の賛否両論は大変だった。しかし、土地の価値が上がることで、
農業の大型化、機械化ができ、心では反対していたが、便利になったことは嬉しかった。
青森県が借金で大変になって、その後、日本原燃(原子燃料サイクル施設)を
受け入れざるを得なかった。
六ヶ所は貧しい村だった。男尊女卑がひどかった。
日本原燃が婦人団体に説得に来た。奇形児が生まれるなど風評被害があり、
反対運動が大きかった。
県から六ヶ所村読書愛好会へ、金融学習しませんか?という打診があった。
そのお金を使い、原発関係の勉強会をしてきた。毎月8万円の助成金を3年間もらった。
色々な先生を呼んで勉強会をした。8万円が800万円、8000万円の価値があった。
環境科学技術研究所に女性が2人いて、この人達に色々教えてもらった。
今は友達のような関係になっている。
村も人づくりが大事なのではないかと思う。
日本原燃というご本尊様にばかり甘えていられない。
貧しい村が経済の恩恵を受けたことを忘れてはいけない。豊かになった。」


お話しを聞いたことから私が思うことは、
六ヶ所村読書愛好会は、男尊女卑がひどい状況の中、原子力の勉強会を通して、
女性の地位の確立をしてきたことに、一つの達成感があると感じました。

それまで、女性は会議では一言も話さないのが普通だったとも言っていましたが、
原子力という国が推進する、当時最先端の内容を勉強する会を
県から助成金を得て主催する側になり、様々な先生を呼ぶことで、横のつながりができ、
国や県、周りの人達から認められるようになり、自尊心が満たされるようになったと思います。

過去に地元民が賛成、反対で対立するようになり、地域の縁が断絶してきたり、
また、自然も破壊されてきましたが、一方では、雇用が発生し、お金の面で豊かになり、
生活の便が向上してきたというのも事実です。

「日本原燃というご本尊様にばかり甘えてはいられない」
「貧しい村が経済の恩恵を受けたことを忘れてはならない。豊かになった。」

この言葉には、地元に住んでいる方の気持ちが込められています。
色々なものが増えて、快適な生活になったのは事実でしょう。
(ただし、これは地元民全ての意見を代表するものではなく、賛成側の一意見です。
現在反対している側には、当然別の意見があるでしょう。)

「村も人づくりが大事なのではないかと思う。」
この言葉は、六ヶ所村だけでなく、おそらく全ての自治体、企業、組織体に
当てはまるものでしょう。
次の世代のことを考えられる人が増えていかなければ、
これからの未来に明るい希望は見えてきません。

私は、六ヶ所村読書愛好会の方たちが、原子力とは何かを理解するために、
一生懸命努力して、勉強されてきたことは大変素晴らしいことだと思います。
自分達の村にあるものだからこそ、しっかり知っておかなければという思いだったはずです。
閉鎖的な社会という環境で、様々なことに取り組んでこられたのは、
大変な努力を要したでしょう。
六ヶ所村読書愛好会の方たちには、これからも一生懸命
取り組んでいって欲しいと思っています。
そして私も、そうした姿勢を見習っていきたいと思います。
六ヶ所村読書愛好会の方たちに、一つお願いをするならば、
是非、様々な情報を取り入れて勉強会を開催して欲しいと思います。
講師として招いている環境科学技術研究所は原発推進側の立場です。
推進したいわけですから、当然いい情報を伝えてきます。
しかしそれだけでは情報に偏りがあるので、反対側の情報も扱って
総合的に判断して、今後も活動して欲しい、そう思います。



この交流会をもって、青森県六ヶ所村の視察は終わりとなりました。

今回、六ヶ所村を訪問して思うことは、自然豊かなところに、
大規模な施設が作られてしまったのだな、ということです。

原子燃料サイクル施設が取り囲む尾駮沼(おぶちぬま)は、海水と淡水が混じる汽水湖です。
冬には渡り鳥がたくさんやってくるそうです。
施設が立ち並ぶ場所も、元々は森です。
私たち人間が、自分達の生活、活動のために、自然を壊して様々なものを作ります。
六ヶ所村の再処理工場の場合は、建物を作るための自然破壊だけでなく、
排気塔と、排水管から放射性物質を空と海へ放出し、環境を汚染します。

原子力による発電で、便利な生活を過ごせている、というのはあります。
しかし、このままでいいのか、疑問に思います。

ホテルに泊まったとき、廊下も部屋も暖房が効きすぎて暑い状態でした。
せっかく寒いところへ行って、温かい温泉に入って、体が温まったら
寒い空気に触れるのが一つの醍醐味なのに、全て暖房が行き届いていて、
温まった体に暖かい空気で、さっぱりした気持ちになりませんでした。

過剰冷暖房はここだけの話しではなく、どこでもあることです。

大変な犠牲の上にエネルギーを作り出している一方で、
そのエネルギーを本当に大切に使っているのか疑問に思います。
これはエネルギーだけでなく、あらゆる資源に対してそうでしょう。
日本も未だに大量消費社会です。


自分達さえよければあとは関係ない。
その様な自己中心的な考え方はそろそろ終わりすべきでしょう。

自分達がまるで地球最後の世代の様に振る舞い、資源を浪費し、ごみをどんどん増やし、
エネルギーを使い続け、自然を破壊し、空や海や土を汚染し、他の生物を追いやり絶滅させる、
こんな事でいいはずがありません。
このままでは、最終的に人間が住めない星になってしまいます。


放射能は、人間にとって永久といっていいほど、果てしなく長い間、影響を及ぼし続けます。
放射能の半減期(威力が半分になるまでの期間)は長いもので45億年(ウラン238)。
プルトニウム239は、半減期が2万4千年。
一度作られてしまったものは、自然界に存在し続け、場合によっては
食物連鎖を通して、地球上の生物の体内を永遠に巡り続けることになります。


「低線量の放射線は安全。」
はたしてそう言い切れるのでしょうか?
放射線はDNAを破壊するもの。少なければ安全と言い切れるものではありません。


「放射性物質は、空と海に拡散するから大丈夫。」
再処理工場から放射性物質を放出し続ければ、自然界に存在する濃度は
どんどん濃くなっていくのではないでしょうか?
また、再処理工場や原発から常に排出されていれば、その周囲は
確実に放射性物質の汚染がひどくなるのは当然のことです。
イギリスのセラフィールドにある再処理工場の周辺で、
がんや白血病が10倍、15倍と高くなっている事実はどう考えるのでしょうか?


「人工と天然の多重バリアーで、高レベル放射性廃棄物を覆うから、
地下に埋める地層処分は安全。」
自然界の力は、人間の考えが及ばないことが、過去の事例からわかるはずです。
日本には大陸プレートが4つも重なっている地震大国です。
もし地下に埋めた高レベル放射性廃棄物から放射性物質が漏れてしまった場合、
地下水を通して、全く予測不可能な広範囲へ放射性物質の拡散が起こってしまいます。
地下に埋めるということはそういう危険性を、
次の世代以降永遠に
、背負わせることになります。

新潟県柏崎刈羽原発の下に、活断層が見つかったことを忘れてはいけません。
建設前の調査では、活断層はないということでしたが、全く外れてしまったわけです。

チェルノブイリの事故では、広範囲の人が強制退避させられました。
放射性物質の事故は、人が住めない場所を作ってしまいます。
狭い日本で起こった場合、どうするのでしょうか?


日本は、2030年までに原発を新規に14基作る目標を立てています。
これから省エネの取り組みがますます進み、省エネ技術も進歩し、さらに人口が減っていき、
工業の主役が発展途上国へと移転している状況なのに、
なぜ、新たにそんなに増設していく必要があるのでしょうか?


なぜ、自然エネルギーの推進へと行かないのでしょうか?
20年もあれば自然エネルギーを相当普及できるはずです。
ドイツが日本を追い抜いたことを考えれば、国策として本気に取り組めば
相当の数を普及させることができるはずです。


自然エネルギーはお金がかかる?
実は原発こそとてもお金がかかるものです。
一つの例としてつい最近の出来事を以下に紹介します。

日本原燃は10日、試験運転中の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)について、2010年10月を予定していた完成時期を2年延期し、2012年10月とすることを決め、国に届け出るとともに青森県の三村申吾知事に報告した。試運転でトラブルが相次いで、改善に時間がかかっているため。今後の施設拡張などの資金の確保に向け、4000億円の増資も決めた。主要株主の電力10社などに支援を要請する。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/100910/bsd1009101131009-n1.htm


電力会社がお金を払っているから関係ない?
実は、原発のために国民の税金が引かれています。
電源開発促進税というのがかかっています。



そんなの大した額ではない?
それでは被害補償はどうでしょうか?
水俣病、薬害エイズ、B型肝炎、アスベストなどなど。
何かあったときの補償は全て国が税金を使って行います。
しかし、こういった補償は財源の制限を理由に、どこかで線引きされます。
それによって被害を受けても補償を受けられず、長期に渡り裁判で争うなど
つらい思いをしてきた人も多数いました。


選択肢は原子力だけではありません。
温室効果ガスを削減するために、放射性物質という別の猛毒を撒き散らすことは、
環境問題の根本的な解決にはつながりません。

自然エネルギーをもっと真剣に考えるべき、そう思います。

原発のいい部分だけを見るのではなく、悪い部分も考慮すれば、
自ずと選択する道は見えてくるはずです。


「次の世代が技術革新で何とかするからきっと大丈夫。」
こんな無責任な考え方はありません。


昔、林業をしていた人達は、次の世代のために、植林していきました。
立派な木に育つには、50年、100年とかかるから、植えた本人はその木を切れません。
子や孫の世代のために、一生懸命木を植えていく。
宝を残していくという考え方。

昔からその土地に住む原住民と呼ばれる世界のどの部族も、
同じようなことをして、部族全体が生き残れるよう、自然界と共存をしてきました。
魚を獲りすぎたら魚が獲れなくなる。
だから必要な分だけ獲って、それ以上は獲らない様にする。
魚を生かすことが、自分達や子や孫が生き延びることにつながる。
当たり前のことです。


今私たちが選択している道は、負債を残す事に他なりません。

日本には借金が約960兆円あります。この巨額の負債、どうすればいいのでしょうか?

しかし、借金ならまだいいほうです。
なぜなら人間は、住むところと、着る物と、食べる物があればなんとかなります。
仮に国家が破綻して、経済が大混乱になったとしても、
食べ物を作る土地ときれいな水があれば、自分達で作物を育てて生きていけます。

ところが、放射性物質で土地や水が汚染されると、食べ物、水が、毒に変わります。
つまり、命に直結します。
放射性物質という負の遺産は、借金以上に、次の世代以降、半永久的に迷惑をかけます。


次の世代には、汚染された土地や暑い地球ではなく、
手付かずの自然、様々な生き物達が生きていける環境を残して行くことが、
今を生きる大人として必要なことだと感じます。






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